先日、本棚を整理していて、昔、自分が書いたフラクタル心理カウンセラー養成講座のテキストが出てきました。
その中に、こんな一文がありました。
「インナーチャイルドを修正できるのは、アダルトが十分に成長した人だけ」
自分で書いた文章なのですが(笑)、久しぶりに読んで、なるほど、改めて腑に落ちました。
インナーチャイルドとかアダルトとか、セラピーっぽく聞こえるかもしれません。
でも、今の私には、これはもっと単純なことのように思えます。
要するに、
自分自身を俯瞰して見る力が育っているか。
ということなのではないかと思うのです。
人の心は、全部が同じように成長していくわけではありません。
大人になって仕事をして、社会の中で責任を負って、人に合わせたり、相手の気持ちを考えたりすることができるようになっていても、ある部分は、ずいぶん幼いまま残っていることがあります。
そこに触れると、急に腹が立ったり、「どうして私ばっかり」とひがんだり。
そんなふうに、その瞬間の感情が世界の全部になってしまう。
小さな子どもなら、それで当たり前です。
3歳の子どもが、
「今、私はものすごく腹を立てている。しかし、ここは少し長期的な視点に立って考えてみよう」
なんて思いません。
だから、親や周りの大人が教えます。
「順番を待ちなさい」
「それをやったら相手も痛いよ」
「今は我慢しようね」
子どものときには、自分を俯瞰して見るための「視点(大人)」が、自分の外側にいるわけです。
でも、年齢が上がるにつれ、その役割を少しずつ自分自身が引き受けていく必要があります。
昔の私は、とても焦っていました。
早くやらなきゃ。
何と競争しているのかもわからず、感情が波打つ。
その渦中にいると、それがものすごく重要なことに見えます。
でも、年齢を重ねて、いろいろな経験をしてくると、ときどき自分に、
「おいおい、待てよ」
「また、それ?」
とツッコミを入れられるようになる。
今はものすごく大変なことに見えているけれど、本当にそうなの?
あのときも「もうダメだ」と思ったけれど、毎回、一人芝居すごくない?
そんなふうに、慌てている自分と俯瞰している自分との間に距離ができる。
視座が高くなるというのは、こういうことなのかもしれません。
自分のことだけではなく、相手から見た世界も想像できる。
今日だけではなく、10年、20年という長いスパンで考えられる。
人生の一場面だけではなく、その前と、その後まで含めて見られる。
そうすると、昔は見えなかったものが見えてきます。
そして私は最近、
年を重ねるって、悪くない。
と思うのです。
もちろん、歳をとれば自動的に人間が成熟する、という意味ではありません。
それでも、子どもの頃には見えなかったもの、聞こえなかったもの、わからなかったもの、できなかったことが、少しずつ見えてくる。
それまで、どれだけ自分のことを真剣に考えてきたか。
成長したい、変わりたいと思ってきたか。
そして、実際にいろいろなことを経験してきたか。
これも大きいと思います。
失敗したり、恥をかいたり、思い通りにならなかったり。
いわゆる「痛い目」にもあっている。
そのときは、できればこんな経験はしたくなかったと思います。
でも後になって振り返ると、その経験があるからこそ、
「ああ、私はあのとき、こういうことが見えていなかったんだ」
と分かることがあります。
経験が増えるということは、単に人生の履歴が増えることではありません。
自分を見るための材料が増えることでもある。
そう考えると、
「インナーチャイルドを修正できるのは、アダルトが十分に成長した人だけ」
という昔の自分の文章が、今になってくっきり見えてきました。
自分の中に怒っている部分があっても、それが自分の全部ではない。
焦っている自分がいても、その焦りが人生のすべてではない。
失敗した自分がいても、その一場面だけで自分の人生を決めなくていい。
もっと広い視野で、もっと長い時間の中で、自分を見ることのできる自分が育っている。
その自分から、
「で、あなたはこれからどうしたいの?」
と、自分に問いかけられる。
それが、アダルトが育つということなのかもしれません。
若い頃には持てなかった、自分を見るための距離。
それを手に入れられるのなら、
年を重ねるって、やっぱり悪くない。
