役者を替えたのに、なぜ物語は続くのか

「罪を憎んで人を憎まず」という、有名な言葉があります。

文字通り、まずい行為や失敗は憎んでも、人にドロドロとした過度な怒りや憎しみを向けちゃダメだよ、という意味で使われます。

「怒りの矛先を人に向けるのをやめようね」という戒めです。

うん、まさにその通りだと思います。

だって、特定の人を責めたところで、根本的な再発防止にはならないから。

仕組みそのものを変えない限り、ヒューマンエラーは、人を替えてもまた起こります。

では、これを「心の仕組み」として見るとどうでしょう?

ここから、もう一段深く掘り下げてみます。

そもそも、その「登場人物」って、一体だれなんでしょうか?

私たちの人生って、ぐるぐると回る円環みたいなものです。

子どもだった人が、いつか親になる。
部下だった人が、いつか上司になる。
いつも怒られていた人が、別の場所では怒る側になる。

被害者だったはずの人が、時間や場所が変われば、加害者に回ることだってあります。
ぐるぐる、ぐるぐる、その逆もある。

ストーリーが変わらない限り、だれかが同じ役をする。

そう、人生の配役って、ずっと固定されているわけじゃない。

移り変わっていくものなのです。

それなのに私たちは、何か問題が起きるとすぐ、

「お父さんが悪い!」
「いや、全部私のせいだ……」

と、どちらかを犯人に仕立て上げて、勧善懲悪な物語をつくりがちです。

分かりやすい物語に、ちょっとほっとする。

でも、人生全体を引きのカメラで見てみてください。

本当に大事なのは、

「誰が悪かったのか?」ではなく、

「何がまずかったのか?」ではないですか。

そして、役割に関わらず、
「次は何を変えるべきなのか?」

ということのはず。

役者をチェンジするのではなく、まずい「シナリオ(やり方)」を終わらせる。

深層意識まで降りていくと、主語はだんだん曖昧になります。

役割は入れ替わり、溶け合っていく。

だからシナリオそのものを変えない限り、キャストを入れ替えながら、同じ悲劇や喜劇のパターンを演じ続けることになります。

そう考えると、やっぱり辿り着くのは、

「罪を憎んで、人を憎まず」

なんですよね。

気づいた人から、仕組み――つまり、自分の中にある思考パターンを変えていく。

素直に謝れないこともある。
誰かへの怒りを、しつこく抱え続けてしまうこともある。

そんなとき私たちは、問題そのものより、被害者の役(立場)にこだわっているのかもしれません。

人を裁き続けるのではなく、まずいやり方を終わらせる。
それは、気づいた人ができるのです。

心理的な修正の本質も、そこにあります。

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