私のブログでは何度も書いていますが、本当にわかるには、長い時間がかかります。
「わかる」とは、「できる」こと。
私はこれまで心理について、同じ言葉を何十回、何百回、何千回と聞き、自分でも繰り返し語ってきました。
ところが、あるとき突然、「ああ、そういうことだったのか!」と、腑に落ちることがあるのです。
今さら? 何千回も人に教えてきたじゃないの!
そうツッコミを入れたくなります(笑)。
でも、頭で理解していることと、本当に「わかる」ことは、やはり違うのです。本当にわかったとき、人は自然に行動します。身体感覚に落とし込まれたことを、腑に落ちると言います。
では、そこに至るまでに何が必要なのでしょう。
私は、やはり経験なのだと思います。
経験を重ねるほど、「これは、あのときのことと似ているな」「昔聞いたあの話は、こういう意味だったのか」と、さまざまな出来事と知識が結びつくのが早くなります。
若い頃は、どれほど熱心に学んでも、経験そのものが少ない。だから理解が浅い部分があるのは、ある意味、当然です。
そして面白いことに、理解を深めるうえで大きな役割を果たしているのが、うまくいかなかった経験なのです。
途中でやめてしまったこと。
人から言われた痛い言葉。
どうしても納得できなかったこと。
もちろん、成功体験も本当に大切です。けれども、負の体験は、意識的に体験しようと思ってできるわけではありません。それだけに、自分という土壌に微細な豊かさを加えてくれるのです。
土の中では微生物が働き、落ち葉や枯れたものを分解していきます。
うまい具合に育った果実が、途中で腐って落ちてしまった。
すべて無駄になった。失敗した直後は、そんなふうに思うものです。
腹が立つし、悔しくて仕方がない。植えた場所がいけなかったのか、時期はどうだったのか。外部の原因を探しても、最後は自分で受け止めるしかないのです。
途中で落ちた果実は、やがて姿がなくなり溶けていきます。特別なことをしていないのに、いつの間にか土壌そのものが豊かになっているのです。
人間の内面でも、それに似たことが起きているように思います。
そして、わかった気になっていたことが、その土壌を介して深い意味を明かしてくれることがあるのです。
もちろん、早く自分を変えたいなら、意識的に型にはめ、繰り返すことで身体化を促進することができます。
時間に任せることと、自分の意志で変えていくこと。
その両方があっていい。
ここで大切なのが、毎日という短い時間と、人生全体という長い時間の両方の視点です。
今日という一日には、建設的な目的を持って取り組む。目の前の目標に向かって、一生懸命やってみる。
意図は常に建設的に。いちいち結果を気にしない。
それでいいのだと思います。
今すぐにすべてを理解し、正しい答えを出そうとしなくてもいい。答えは変わっていくものです。
だけど、少しでも素晴らしい未来を意図していく。
それが、今日という一日の使い方。
何十年も前に聞いた言葉の真意が、今日、「わかる」かもしれないのですから。
