ちょっと想像してみてください。あなたは、幼稚園の校長先生です。
目の前の園庭には、100人の子どもたちが集まっています。この秋には発表会があります。そこで、みんなでダンスを踊ることになりました。
「さあ、今日はダンスの練習をしましょう」
100人の子どもたちが、園庭に集まってきます。もちろん、100人もいれば、みんなバラバラです。
一生懸命練習して、もう上手に踊れるようになっている子がいます。自分が踊れるだけではなく、まだ踊れない小さな子に、
「ここはこうするんだよ」
と、一生懸命教えてくれている子もいます。
一方で、
「興味ないことは絶対やらない!」
と、ふてくされてしゃがみ込んでいる子もいます。
やろうとはするけれど、ちょっとできないと、「もうできない!」と諦めてしまう子。「傷ついた!」と泣き出す子。ほかの子にちょっかいばかり出して、遊んでいる子。
100人いれば、個性も能力もバラバラです。
なかなかの阿鼻叫喚です。
でも、あなたは校長先生。少し高いところから、その100人を見渡しています。
そして校長先生には、目的がわかっています。
この秋、みんなで一つのダンスを踊る。
みんなの心を一つにして、一つの目標を達成する。そのためには、全体を俯瞰して見る人が必要です。
しかも、校長先生が100人全員に、一からダンスを教えるわけにはいきません。
だから、すでに上手に踊れている子や、自分だけでなく、ほかの子まで一生懸命教えてくれている子たちを、もっと育てる。
「ありがとう。助かっているよ」
「あなたなら、もっとできるよ」
と励ます。
そして、その子たちの力も借りながら、まだ踊れない子を育てていく。仕組みをつくることだって必要でしょう。
小さなグループに分けて練習したほうがいいかもしれない。得意な子と、まだできない子を組ませたほうがいいかもしれない。
でも、それだけではありません。
まったく練習しようとせず、ほかの子にちょっかいばかり出して、練習そのものを邪魔している子がいたらどうでしょう。
これは、小さな子どもたちだけに任せておくわけにはいきません。ときには校長先生の威厳を爆発させる必要もあります。
「いい加減にしなさい!」
と、しっかり叱らなくてはいけないこともあるでしょう。
「できない。もう嫌だ」
「傷ついた」
と泣いている子には、話を聞いたり、励ましたりして、もう一度みんなの輪の中へ戻してあげることも必要です。一人一人の個性にあった指導法も必要でしょう。
ただ、校長先生は、一人の子だけを見ているわけにはいきません。
全体を見ながら、その子その子に必要なことをする。
さて。
これは何の話をしているのでしょう。
実は、私たちが自分の人生をどう動かしていくかという話です。
私たちの心も、一枚岩ではありません。
自分の中には、いろいろな自分がいます。
一生懸命頑張る自分。好奇心旺盛で、「やってみたい!」とすぐ動く自分。人を思いやり、助けようとする自分。
一方で、すぐ人と喧嘩する自分もいる。意地悪な自分もいる。せっかく頑張ろうとしているのに、「そんなことやったって無駄だよ」と足を引っ張る自分もいる。
ちょっと失敗しただけで、「もうやらない!」と座り込んでしまう自分もいる。
つまり、自分の心の中も、幼稚園の庭のように100人の子どもがいる。
もちろん、「100人」も「子ども」も、わかりやすくするためのたとえです。でも、やっていることは同じ。
自分の人生を変えたいと思ったとき、大切なのは、
自分が校長先生であると自覚を持つことです。
私はどこへ行きたいのか。どんな人生をつくりたいのか。そのために、今どの力をもっと育てればいいのか。何が足を引っ張っているのか。
全体を見て、方向を決める。
頑張っている自分は、もっと励ます。すでにできることは、もっと使う。動きやすくなるように仕組みを変える。すぐ諦める自分は、もう一度輪の中へ戻す。
そして、ときには、
「いつまでそんなことやってるの。いい加減、動け!」
と叱る。
それが、校長先生の仕事です。
もし校長先生がいなかったら、どうなるでしょう。
100人の子どもたちは、それぞれ好き勝手に動きます。確かに、ものすごくエネルギッシュです。
でも、おそらく秋になっても、みんなでダンスを踊ることはないでしょう。
エネルギーがあることと、そのエネルギーを使って何かをつくり出すことは違うからです。
「私なんて才能ないし」
「どうせ無理だし」
「前もうまくいかなかったし」
そんな声が聞こえてくることもあるでしょう。
でも、そんなことを校長先生まで言っていたら、どうなるでしょう。
「そうだよねえ。私も、本当は自信ないの」
と校長先生まで園庭にしゃがみ込んでいたら、もう誰がこの幼稚園を動かすのでしょう。
もちろん、校長先生だってわからないんです。
このやり方で本当にうまくいくのか。発表会までに間に合うのか。自分の判断が正しいのか。
そんな確信なんて、最初から持てるわけではありません。
それでも、決める。
「私が校長だ!」
「絶対やる!」
「絶対できる!」
まずは、それしかない。
気合いです(笑)。
やってみて、うまくいかなかったら考える。仕組みを変える。教え方を変える。できる子の力をもっと借りる。
校長先生自身も、そこでまた成長するんです。
でも、
「本当にできるという確信が持てたら、校長になります」
では、いつまでたっても100人の子どもたちは園庭を走り回ったままです。
決めるというのは、できるとわかったから決めるのではありません。
わからなくても、「こっちへ行く」と自分が先に決めること。
人生をもっと良くしたい。もっと面白い人生をつくりたい。もっと自分の力を使ってみたい。
そう思うなら、まず自分が校長先生になる。
「あの人が悪い」
「環境がもっと良くなったら」
「私には才能がない」
「傷ついたから、もうやりたくない」
そんな声も、自分の中から聞こえてくるでしょう。それも100人のうちの一人です。
でも、その一人に幼稚園全体の行き先を決めさせない。
全員を見渡して、
「よし。こっちへ行くよ」
と決める。
正しいかどうかは、まだわからない。確信だってない。
それでも、
「私が校長だ。絶対やる。絶対できる」
そうやって自分の人生を動かし始める。
私は、それが「決める」ということなんだと思います。
