あなたの周りのすべてはあなたの心の投影、深層意識の投影です。あなたは自分の思考が現実化する世界に住んでいるからです。
あなたがすでにつくっている現実を見ることによって、それを分析することができます。お姉さんの人生はかつてあなた自身の生き方として考えていたということを意味します。お姉さんの生き方を見ればあなたの深層意識がわかるのです。
一色真宇著『こころの進化の6つの段階』 第3章 嫉妬の原因は? から
どんなことにも2つの側面があります。あなたが見る現在の現象は、未来の(成熟した)あなたの意図と、過去の(未熟な)あなたの意図から成り立っています。その交点に現在があるのです。つまり、未来も現在を創造しています。
一色真宇著『こころの進化の6つの段階』 第4章 障害の理由 から
ギアナの家族はそれぞれに問題を抱えていて、彼女は家族から十分な関心を向けられなかったと感じています。それが原因で、自己評価が低く大人になっても感情的な困難を感じているというのです。
このように考えている方は、案外多くいらっしゃいます。
かくいう私も、TAW理論を知る前は、自分の不十分さは、機能不全の家族で育ったからだと思っていました(主に父に対して怒りを感じていました)。
それで随分遠回りをしてしまったのです。
これまでのセラピーでは、ギアナの満たされないインナーチャイルドを癒やし、家族の負の連鎖を断ち切ろうとします。
このやり方は最初はいいのですが、実はどこまでいっても「損した感」が抜けません。運命のいたずらでこんな家族の元に生まれたという悔しさがどうしても残るのです。
まさか親より自分の思考が先だとは思っていないので、安心して親を悪者にしますが、依存はそのままなので癒やし中毒になる危険性があります。
遅かれ早かれ限界がきます。
「家族」はどんな人にとっても、深層意識深くに押し込められた諸刃の剣のようなものです。つまり、使い手のレベル次第なのです。
一元で考えると、私達は一人一人、仮想現実ゲームのシナリオライターです。
つまり、ギアナのファミリーストーリーは、ギアナ自身のシナリオの変遷物語です。
そして、私のファミリーストーリーは私自身の思考の変遷なのです。
人と自分を分けるのは誰を主人公としたかの思考量の差ですから、長く親しんだ考え方は家族となって近くに存在します。
例えば、お姉さんが病気だったとしたら、お姉さんがその結果得ているもの、この場合であれば親に依存することが目的だとわかります。
兄弟姉妹の問題は、案外簡単に心理を見抜くことができます。自分と直接の利害関係がありシビアな視点を持ちやすいからです。
いずれにせよ、お姉さんに投影した思考を、主人公であるギアナ自身が完全にやめることができないでいることが問題なのです。
まずギアナがやるべきことは、家族を責める(罰する)ことではなく、もちろん自分はダメだと卑下することでもなく、このシステムを理解することです。
そして、自分の中にある、統合されていない思考(自立したいという気持ちと依存したいという気持ち)を正直に認め(光をあて)、必要のない思考を徹底的に手放すことです。
これがフラクタル心理カウンセリングでやろうとしていることです。
お姉さんに何かを言う必要はありません。
自分のシナリオなのに、登場人物に修正を依頼しても満足できないでしょう。
自分は自立していると思えるかもしれません。でも、身近に依存している人を見るならば、依存の思考もまだたっぷり持っている。この世界を自分の手に取り戻すには、嫌いな人ですら自分の投影だと認めなければいけないのです。
だから、世界の構造の理解がどうしても必要です。
人生に起きるネガティブな出来事は、もちろん、思考が現実化するわけですから、過去の愚かな思考の結果です。ですが、同時に、それを通して大きく成長することも事実です。
確かに、ネガティブな出来事を経験したあとでは、人間として一皮も二皮もむけることがあります。
だから、思考が現実化するからといって、起こった出来事を後悔したり、恥じるのは時間の無駄で、未熟な思考を理解し修正したならば、その経験を経なければ得られなかった価値をしっかり認めることも大切です。
出来事はすべて過去の思考が起こしますが、未来の思考(成熟した思考)も同意したことしか起こりません。つまり、必ず成長できることしか起こらないのです。
私がフラクタル心理学が大好きなのは、ここに本物の愛があるからです。
17年前、母が亡くなったとき、私はTAW理論をがむしゃらに学びはじめました。
混乱していましたが、被害者ヅラの自分にうんざりしていたからです。
それは振り返ると、確実に転機だったのです。
今年、父が亡くなりました。
私の中に大きな父のエッセンスが戻ってきたのを感じました。
また、転機がきたのです。
17年たった今、ある意味別人です。
グズグズせず早く階段を上がれと、いつも両親は教えてくれていたのです。