父への讃歌(大恩は報せず)

エッセイ

子どもの頃、私は父を親しく感じたことがありませんでした。

マスターコースでは、エネルギー差の大きいものを人は悪と感じるとお伝えしていますが、まさに3歳の娘(子猿)にとって、父を理解することは到底できませんでした。

父は弁護士でした。私が生まれた年に、ある民事裁判の原告側代理人をつとめ勝訴しました。

それは歴史的な裁判で、当時マスコミにも大きく取り上げられたようです。

私の記憶にある父は、声が大きく、弁が立ち、いつも忙しく活力に満ち溢れていました。

私が幼稚園児だったころのエピソードです。父が朝、私を幼稚園まで連れて行ってくれたことがありました。父は子育てを母に任せていましたから、それはとても珍しいことでした。多分、母が入院していたのだと思います。

父に手を引かれ幼稚園まで行くのですが、父の歩調と私の歩調が合うわけもなく、私は手をぐいぐい引っ張られているような状態で、なんだか酷いことをされているような気分でした。

今なら、仕事前の忙しい時間を割いて、娘を幼稚園まで連れて行ってくれた優しい父だとわかるのですが、当時は、乱暴でこわい人だと思っていたのです。

そんな父が、たまに家にいるとうっとおしく、できれば避けたい存在でした。父の保護のもと、のびのび生活していたのに、感謝もなかったのです。

姉はよくこんな風に言っていました。

「あんたが、一番お父さんに似ているよ。顔も性格もそっくりじゃない」

「たとえ生き別れたとしても、親子だってわかるよ」

当時の私は、父に欠点しか見ていなかったので、姉の言葉は意地悪にしか聞こえませんでした。

「やめてよ、最悪! 」

姉が言いたかったことが今ならわかります。

「あんたが、一番お父さんに似ているよ。顔も性格もそっくりじゃない」

(=それなのに、なんでお父さんのように努力しないの?) 

人生が愚かさ(未熟さ)から始まるということに呆然とします。

父は邪気のない真っ直ぐな人でしたが、長年人の争いの心理を見てきたので、物事の落とし所をよくわかっている人でした。

母が17年前に亡くなってからも、父はずっと一人暮らしを続け、80歳を越えても現役の弁護士として自立していました。

長い人生の中では、良いことも悪いこともありましたが、父はすべてを受け止め、たんたんと対処しました。

しかし、愚かな子猿(私)がほんの少し成長し、父の深い思いを理解できるようになるにつれ、父は少しずつ弱くなっていきました。

晩年、父と病院へ行ったり、散歩をしました。

二人でベンチに座って珈琲を飲みながら、親しく話をしました。

父はとても面白い人でした。そして、時々、はっとする話を聞かせてくれました。
もっと話せばよかった。

幼稚園へ連れていってもらってから、あっという間に過ぎ去ってしまった時の流れを感じたものです。

父は、嵐の日も、日照りが続く日も、どんなときも変わらずそこに立っている大樹のような人でした。

それがどれだけ有り難いことであったか、失ってみて初めてわかるのです。

2022年4月18日、父が亡くなりました。87歳でした。

仕事を愛し、家族を守り、人生を生ききった偉大な父でした。

お父さん、

私は必ず約束を果たすからね。 「あとは任せたぞ

素晴らしい人生をありがとう。 「頑張れよ」

深く感謝申し上げます。