あなたは『深夜特急』をご存知だろうか。
沢木耕太郎氏の自伝的紀行小説だ。
80年代、90年代のバックパッカーのバイブル的な小説であり、
沢木耕太郎氏は彼らの教祖的な存在だった。
大学生の頃、私も、ワクワクしながら読んだものだ。
今では内容をよく覚えていないが、旅を通して「私」が変化していく様に、自分をオーバーラップしたものだった。そういえば『深夜特急』と『地球の歩き方』がいろいろな国のホテルに読み捨てられていたと聞いたことがある。今はどうなのだろう。
あれを読んで仕事をやめて世界を放浪する青年もいたとか。
本には人生を変える力がある。
出版されてから50刷になっていると聞くから、もはや古典だ。
旅は非日常だ。
だからこそ、土地の人々は適度に旅人を放っておいてくれる。
その距離感が、自分を見つめるのにちょうどいい。
旅は人を成長させてくれる。
そんな思いで、バックパックを背負って旅に出た若者は多かったと思う。
『深夜特急』はあの頃の私にとって、自由の象徴だった。
自分はいったいどう生きたいのか、自分は何者か、全くわからなかった私。
それなのに、普通に就職して、普通に結婚して、といったレールから逃れたかった私。そして、その勇気もない私。
『深夜特急』は私のバイブルだったけど、私自身はバックパックを背負って、一人辺境の地を歩いて、自分を見つけるなんて想像もできないほど臆病者だった。
だからこそ、それができる人への憧れだけがあったのだ。
結局、私は大学を出て、石油元売り会社に就職した。
正直、仕事はつまらなかった。
男女雇用機会均等法なるものがすでに施行されていたが、女性社員はあくまで補助として見られていたし、2~3年勤めて結婚して……、そんな雰囲気が大手の企業にはまだあった。
あの頃、ランチの時間、同期の子とおしゃべりを楽しんでいたけど、本当に心が満たされていたわけじゃなかった。つきあっている彼氏の話、結婚の話、習い事や遊びの話、旅行の話。
なんだか退屈だった。
一方、会社に派遣社員という働き方をしている人がいた。
派遣という働き方はまだ珍しく、海外へ行くための資金稼ぎなど、明確な目的を持っている人が多かったように思う。
私とは別世界の人に思えた。
「なんで私は私なんだろう」
「私は何をしたら心が満たされるのだろう」
「人生って何だろう」
ウイルスに侵されていくように、私は、答えのない問いを考え続けていたのだ。
ある日、友人に紹介されて、未来が見えるという占い師のところへ行ったことがある。
私「私は何をしたらいいんでしょうか」
占い師「自分で自分を縛っていますね。心を解放した方がいいです」
私「心を解放するために何をしたらいいでしょうか」
占い師「一人旅をしなさい。それも海外に。必ず開運になります」
私「……」
私「ど、どこへ行ったら一番、開運になるでしょう」(どこまでも依存的な私)
占い師「自分で考えなさい。ただしツアーにのってはダメ」
海外へ一人旅……。ツアーはダメ。
沢木耕太郎氏が心に浮かぶ。
とにかく、何かを変えたい。
こういう目的のためには、秘境に行くのがセオリーなんだろうけど、そんな危険はイヤ。
私はさんざん迷ったあげく、『深夜特急』の最終目的地である、イギリスへ一人旅をすることにした。
イギリスなら割と安全だろうし、日本人も多いはず。
日本から飛行機とホテルだけ予約して行けばなんとかなるだろう。
結局、5日間会社を休むことしにして、わずか1週間の一人旅を計画。
自分はバックパッカーなのだと言い聞かせ、
あえて格安航空券と格安宿を予約した。
成田発大韓航空機でソウルまで2時間、
ソウル経由でイギリスのヒースロー空港まで12時間という旅。
そういえば、ソウルからイギリスへの途中、気圧の関係で大韓航空機が大きく揺れたときがあった。
ちょうどその時食事中で、空に浮かんだビビンバが今でも静止画のように思い出される。
大韓航空機爆破事件があった後だけに食欲は一気に失せたけど。
しかし、ある意味、そこまでは順調だったのだ。
事態が本格的に悪化したのは、ヒースロー空港に到着してからだった。
空港からロンドンの中心部までは地下鉄で移動する。
キョロキョロしながら、疲れ切った足取りで大きなトランクをひきずっている東洋人は、
スキだらけだ。
沢木耕太郎先生のようなバックパッカーを夢想しながら、私は完全なるお上りさんだった。
それも、カモがネギしょって、出汁まで沸かして歩いているような極上のお上りさんだ。
いきなり、変な男に目をつけられてしまった。
浅黒い肌の、目つきの悪い男。
そいつが早口の英語をまくしたてながら、私につきまとい始めたのだ。
正直、その男の言っている英語はわからない。
「No!」と言っても、ニヤニヤしながら、ずっと後ろをついてくる。
大きな荷物を持っていたので走って逃げることもできない。
田舎から東京に出てきた家出娘につきまとっているチンピラをイメージしてほしい。
純朴な田舎娘は、チンピラに騙されて変な店で働かされるというストーリーが浮かぶ。
普通は、ここで正義の味方が現れてくれるのよ。
沢木耕太郎先生助けて~! と心で叫ぶ。
ああ、だから女一人旅なんて、キケンなのよ。
男は地下鉄乗り場までついてくる。
電車に飛び乗ると、なんと、そいつも乗ってきた。
ニヤニヤしながら、じっと獲物(=私)を見つめている。
駅を出てしまったら、何をされるかわからない。
どうしよう~!!
その時、混雑で埋まっていた座席の一つが偶然空いた。
私はすぐさま座り込む。家を出て以来、正直、疲労困憊していたのだ。
その男は、相変わらずニヤニヤしながら私を見ている。
次の駅に着くと、私の隣に座っていたイギリス人のおじさんが降りた。
その時、奇跡が起こったのだ。
私は天使の声を聴くことになる。
「ご旅行ですか?」
日本語?
日本語だ!
「は、はい!」
見ると日本人の男性が微笑んで立っている。そして、私の隣にスッと座った。
あなた、どこにいたの?
その時ほど、男性がイケメンに見えたことはない。
よく、危険な状態であればあるほど、その場で助けてくれる人に恋をするという。
なるほど、こういうことか。
この機会を逸してはならない。
私は、これ以上ないほど愛想良く、日本語で話し始めた。
その男性は日本の企業から派遣されて、ロンドンで働いている駐在員だという。
一人で大きなトランクを持っている日本人を見て、気まぐれに話しかけたのだ。
「大英博物館へ行くといいですよ。今、特別展をやっていて……」など、たわいもない会話を続ける。
つきまとっている男の顔からニヤニヤが消えていく。
二人は知り合いだと思わせなきゃ。
私は、満面の笑みで彼と会話を続けた。
もちろん、あと少したったら、自分の窮状を伝えて、
知り合いのふりをしてもらおうと思っていた。
つきまとい男は、しばらくは私たちの様子をうかがっていたが、
やがてあきらめて、次の駅で降りていった。
電車の扉がしまった途端、私は、深いため息をついた。
するとどうだろう。
役割が終わったとばかりに、次の駅で日本人男性もあっさり降りていったのだ。
「さようなら、よい旅を」
「ありがとうございます。さようなら」
連絡先を交換することもなかった。
(連絡先くらい聞いておけばよかったと後悔)
それにしても、偶然? それとも、何かに守られている?
沢木耕太郎先生が微笑んでいるような気がした。
ただ、その一件で、何かがはずれたのだろう。
大英博物館、ストーンヘンジ、教会で無料コンサートを楽しみ、カフェで休憩。シャーロックホームズよろしくロンドンを歩く。そして、現地で知りあった人とお食事をした。私は大胆になった。
イギリス一人旅は、予想以上に楽しい旅になったのだ。
イギリス最終日、私は持参した『深夜特急』をホテルの部屋にそっと置いてきた。
やればできるじゃん。なんだ簡単じゃん。
次の人に、その気持ちを手渡したくなったのだ。
バックパッカーには遠く及ばなかったけれど、旅は人を変える力がある。
「なんで私は私なんだろう」
「私は何をしたら心が満たされるのだろう」
「人生って何だろう」
残念ながら、一人旅でその問いの答えが見つかったわけじゃない。
だけど、それでいいんだ。
正しい答えがどこかにあるわけじゃない。
いい加減、目を覚ませ。自分探しに答えなんてあるわけないじゃない。まったく。
あの時の自分に喝を入れたい。
旅の目的地は自分で決めるしかない。
そして、自分で決めたから、旅の過程が私を少しずつ変えてくれたのだ。
人生とは「旅」のようなもの、とよく言う。
だから、達成感を味わうという目的地だけを決めて、さっさと歩き出せばいい。
失敗を恐れずに、自分で自分に多くの経験を与えればいい。
経験が、「人生」そのものに織り込まれていく。
こんな風に「書く」ことでさえ、
「書く」前にはなかった世界へ、「書いた」後には連れていってくれるのかもしれない。
バックバックに夢だけ入れて、さあ、出発しようか。