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文脈を読み直す力 〜善悪両極のゲームから離脱せよ〜

言葉は、それ単体では意味を持ちません。

誰が、いつ、どんな状況で、誰に対して、どんな感情の中で発したのか。
その背景があって初めて、言葉は本当の意味を持ちます。

これを「文脈を読む」といいます。

たとえば、「やばい」という言葉。

楽しい場面でテンションの高い若者が「やばい!」と言えば、
それは「最高!」という意味になるでしょう。

一方で、緊迫した場面で「やばい!」とつぶやけば、
「まずい」「危険だ」というニュアンスになります。

日常会話ではすぐに文脈を読み取れるかもしれません。

けれど、心に深く刻まれた記憶においては、
この文脈が抜け落ちていることがとても多いのです。


カウンセリングでは、よくこんな言葉を耳にします。

「父におまえはダメなやつだって言われたんです」
「母は、いつも怒鳴ってばかりでした」

その言葉だけを見れば、たしかに傷つくのも無理はないでしょう。
けれど、こうした記憶にはある共通点があります。

それは、文脈が切り取られているということ。

なぜその言葉が出てきたのか?
親はそのとき、どんな状況で、どんな感情だったのか?
そして普段から、自分はどんな態度をとっていたのか?

そうした背景は思い出されず、「傷ついた」という感情だけが強烈に残る。
そしてそれが、人生を長く縛る決定的な記憶になっていたりするのです。


なぜ、そうなってしまうのでしょうか。

子どもには、文脈を読む力がありません。
親の苦しみを理解することも、自分の未熟さを客観的に見ることもできないのです。

「親はなんでもできて当たり前」
「子どもを優先するのが当然」
子どもはそんなふうに、無意識に捉えています。

そのため、「ひどい」「自分は否定された」といった
善悪二元的な物語として記憶されてしまうのです。

つまり、子どもは文脈を認識できないので、
たいてい「被害者の立場」から世界を見ています。


けれど、自分自身が人生経験を積み、意識が成熟してくると、
ふと、今まで見えていなかった「文脈」が浮かび上がってくることがあります。

「あのとき父が怒ってくれたからこそ、危険を回避できた」
「私が何度も同じことを繰り返していたのかもしれない」
「思い返せば、私はかなりひどいことを平気で言っていた」

これは、意識の成長が、文脈を回収しにいっているということです。

失われていた背景を取り戻し、
物語を再構築する力が、内側から自然に働き始めているのです。


とはいえ、大人になったからといって、
誰もが文脈を再構築できるわけではありません。

「傷ついた」状態にどこかメリットがあるうちは、
人はその記憶を手放せません。

なぜなら、親が善人になってしまえば、
自分が悪い側になってしまうからです。

その構図を受け入れられないかぎり、
善悪のシーソーの上で揺れ続けることになります。

「頭ではわかっているのに、どうしても許せない」
そんなときには、まず一度しっかりと感情と向き合うことも必要でしょう。

感情の滞りがあるかぎり、新しい視野は流れ込んでこない。
血管が詰まったままでは、どんな栄養も巡ってこないのと同じです。


文脈を読み直すとは、出来事を正当化することではありません。

それは、「この世界は、私の意識が創っていた」という、
一元的でパワフルな視点に戻るということ。

現在の意識が変われば、過去もまた、
新たな意味を帯びて語り直されるのです。

それは、まるで「マンデラ・エフェクト」のように、
自分の中でかつての現実がいつの間にか書き換わっているようなもの。

物語の編集権を自分の手に取り戻したとき
本物の自己肯定と自由が、そこから始まるのです。

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