人生の初めに、誰もが努力なしに大きな自尊心を感じました。つまり、未熟なときほど、無条件に自尊心が得られるのです。その証拠に、この子は幼稚園に行って、誰も自分を中心にして微笑まないのを見ると、ものすごくショックを感じて、自尊心を失うのです。
大人の高い自信と自尊心は、素晴らしい実績や達成したことから生まれます。
いま高い自尊心を持っている人は、かつては低い自尊心を持っていたことを知っておいたほうがいいでしょう。それは、赤ちゃんのときに定義した自尊心を一度捨てたということです。幻想の自尊心が消えたからこそ、なにかを達成するために一生懸命働くようにその人たちを駆り立てました。
一色真宇著 『こころの進化の6つの段階』 第10章 自尊心のつくりかた
セラピー(スピリチュアル)に興味を持つ人は、けっこうな割合で自尊心が低いことに苦しんでいます。
現在の生き辛さは、自尊心の低さが原因で、「親にありのままの自分を受け入れてもらえず、けなされてばかりだった 」など、たいてい親のせいということになります。
私も長く、こんな思考回路でした。
私の場合、親にけなされたこともないので、生まれながらだと思っていたくらいです。
ああ、恥ずかしい…。
身も蓋もありませんが、自尊心を持ちたいなら、セラピーを受けてる場合じゃないんです。
結局、
誰に励まされても、何を言われてもダメで、
答えは簡単、
少しずつ自分で達成感を増やしていく以外ありません。
要は、がむしゃらに努力せよということ。
なんだか、つまらない…。
そう、本当のことは平凡なのです。
ここが面白いところなのですが、
自尊心にこだわり、自尊心の低さをなんとかしようと思うのは、かなり高かったことがあるからなんですね。
だからこそ、不当に扱われていると感じるのです。
赤ちゃんは何もしなくても世界の中心にいます。
これは一面の真理ですよね。
甘やかされて育てば育つほど、その期間は長くなり、特別感も強くなります。
でも、どんな子どもも、学校や社会に出れば、その他大勢なんですよ。
100%注目を集めることはできません。
自分が何を提供できるかで扱いが変わることを体験するのです。
ここで分かれ道ができます。
自分の能力を上げることを選択するか、
不当に奪った人たちを責めるか。
なんだか混乱しますよね。
何もしない自尊心(赤ちゃん)と何かやった自尊心(大人)は似て非なるものであり、本来は言葉の定義を明確にして区別しなくてはいけなかったのです。
生き辛いのは、低い自尊心のせいではなく、赤ちゃんの自尊心へのノスタルジーなのだと理解できたら、大笑いですよね。
自尊心の低さにこだわって前に進まないならば、頭の中に、この勘違いがまだあるはずです。
だから一度、声に出してみましょう。
こだわるとこ、間違っていた!
赤ちゃんの自尊心を奪ってくれた親や社会を恨んでいた!
世界の主人公になるチャンスを与えてくれた恩人を憎んでいた!
エネルギー注ぐ場所、間違えた〜!
ひえ〜、時間を無駄にしたぞ!
とっとと負けを認めろ〜!
このどうしようもない気づき、これが大切です。
ようやく、A地点からB地点へと動いたのです。
低い自尊心の前には、高い自尊心がある。
変化を実感する(達成感)ことが、物語(ストーリー)の構造ならば、
アーク(聖櫃)はまず失われるものであり、それを取り戻すのが面白いから生まれるんだということになります。
結果的に子どものときに欲しかった状態(ちやほやされること)が手に入るのです。
ヒーローの成長物語に拍手喝采です。