2005年にTAW理論(フラクタル心理学の母体となる理論)と出会ってから14年になります。
フラクタル心理学開発者の一色先生とは、その2〜3年前から、その頃働いていた職場を通して、なんとなく存在を知っていました(会ったことはありません)。そして、ホームページをちょこちょこチェックしていたのですが、それ以上の行動はとりませんでした。
2004年くらいだったでしょうか、通信で前世占い的なことをしていると知ったので、好奇心から申し込んでみました。私は以前、他のヒプノセラピストから、「あなたは、中国のお姫様だった」と言われたことがありました(民のために犠牲になる悲劇のヒロインだったのでした)。
普通、前世というと、大抵が「お姫様」「女王」「将軍」「王様」「お坊さま」など、そうそうたる人物を言ってもらえます。あなたは「(歴史的有名人)の生まれ変わり」などと言う人もいます。
すると、現在の平凡な自分が、「本当はすごい存在だったんだぞ〜」、と溜飲が少し下がるのです。
しかし、一色の分析は全く違いました。
「あなたは、前世で用心棒でした。いつも危険が来るぞと嘘をついて村人に食べさせてもらっていました。嘘ばかりついていたので、ある時、本当に危険が来たとき、誰も助けてくれず死にました」
(記憶では、こんな感じ)
「なぬ〜!?」
「ちょっと、どういうこと!?」
正直、何の意味のある前世なんだと腹が立ちましたが、心の底では何か、歯に衣着せぬ物言いに、スカッとしている自分がいました。
「中国のお姫様」の美化の衣が剥がされてから、ヒリヒリした皮膚がおさまって、実際に学び始めるのはしばらくたってからです。
それにしても、これほどハマるとは思ってもいませんでした。もちろん、生きるのが楽になれそうと思ったから学び始めたのですが、習い事の一つにすぎなかったのです。
その頃は、むしろ「前世はあるのか、ないのか」に興味があったりしました。
まあ、でも学び始めたら、わかったと思っても、さらに深いわかったが待っていて、その面白さにすっかりハマってしまったのです。
この長い日々は一言では言い尽くせない、心の変遷の連続でしたが、今の私が言えることは、フラクタル心理学で本当に助かったということ。
そこで、この14年間を振り返り、フラクタル心理学をやってきて良かったと思うことをまとめてみましょう。
脳がスッキリした!
私は子どもの頃から、感受性が豊かな子どもだと言われていました。民謡の「ドナドナ」を聞いて、言葉の意味もわからないのに泣いたという逸話を母から聞かされていました。
空想で感情を動かすことが大好きな子どもで、それを良いことだと信じて疑わなかったのです。同じような感情が動くと、脳の同じ回路にエネルギー(電気)が走る感覚がわかります。すると感情もさらに増幅されて高まっていきます。その繰り返しを楽しんでいたように思います。
成長してもこの傾向は変わらず、大人になる頃には、すっかり世界は混沌としていたのです。自分の経験だろうが、他人の経験だろうが、おかまいなく感情が動いて、それを脳は全て現実として捉え、怒りや不安を生み出すので、毎日疲れ切っていました。同情するのが良いことだと思っていたので、テレビを見ては、涙していました。
人生が思うように動かないけれど、どうしていいかわからなかったのです。
フラクタル心理学で心の構造を深く理解し、感情の正体と扱い方を知ったことで、ようやくモヤモヤした世界から脱出することができました。現実を定義することによって、感情が見せる様々なストーリーに酔って、悲劇のヒロインの気分でいたのです。まさに「中国のお姫様」でした。まるで感情の奴隷でした。
フラクタル心理学によって、脳の大掃除ができたことで、ようやく、感情に絡め取られた混沌としたドラマの世界から抜け出せました。
自分を深く信頼できるようになった!
とっちらかった思考が整理されてくると、徐々に目の前の出来事に振り回されなくなってきました。何が現実で何が現実でないかを厳密に仕分けることで、無駄な感情で苦しむことが減っていったのです。前世がどうのこうのというのも、無駄な空想だとわかったのです。
しかし、効果はそれだけではありませんでした。
過去の私は無力感に苦しんでいたようです。でも、脳がスッキリしてくると、自分はダメだと自分を責めることが、いかに依存的でアホらしいことなのかがわかってきました。それは逃げだったのです。人に言われたくないことを先に自分に言っているだけで、本気で変えようとはしていなかったのです。
また、目の前の問題をなんとかしようとすることは、対症療法にすぎず、成果に見合わない労力を支払うことになることもわかってきました。それは、りんごの木はそのままに、実ったりんごを梨に変えようと頑張るようなものです。りんごの木はそのままですから、時間がたつと、また別のりんごが実ります。
その現実を作り出す、スタート(本質的部分)の思考に働きかけることで、テコの原理が働き、何倍も大きなリターンが得られるとわかったのです。
私は、いつの間にか、自分を深く信頼できるようになっていました。
愛の定義が180度変わってしまった!
一般的な心理学では、いい意味でも悪い意味でも、親との関係が子どもの性格形成や人生に多大な影響を与えると考えています。だからこそ、子どもの問題は親の責任という考えが正当化されます。その対処としては、親を許したり、親から物理的に離れる(無視する)です。でも、どこかにモヤモヤが残り、悩みを解決するには莫大な時間がかかります。一生、親を許さない人もいます。
このように、私たちのスタートには、すでに被害者意識(受け身の意識)が埋め込まれていたのです。
それにしても、成長とは何かと考えた時、いろいろな側面から語ることができます。
私は、言葉の定義を問い直し、改めて定義し直すことで、成長も促進されると感じます。
例えば、「愛」という言葉について。たいていの子どもは、側にいてくれること、必要な時には何かしてくれることを愛だと感じます。だから、「自分でやりなさい」という言葉は、子どもにとって悪魔の言葉に聞こえるはずです。
私たちの原初の感情の一つは「怒り」でしょう。
生まれると、私たちは時間差(すぐに希望が叶わないこと)を感じます。想像していたことと、現実が違うことは大きな不満です。そしてその怒りは、望みをなかなか叶えない親へと向けられるのです。
言葉の定義を成長させると、経験する世界も同じように変わるはず。
私も、愛の定義が変わることで、両親への見方が180度変わりました。世界は本当に、愛しかないのだとわかったのです。それは「許す」などという傲慢なレベルの話ではありませんでした。むしろ、子どもこそ、いつも許されていたのです。
テコの原理を常に人生に応用しましょう。スタートのシーンで愛の定義を変えることで、テコの原理が働いて、人生そのものが変容しました。
で、結局のところ、人生って面白いとわかった!
無力感も含め、無駄に感情を動かすクセが減り、本質を捉えることができるようになると、次はどうなるかと言うと、
人生が、本当に、本当に、生きるに価すると思えるようになるのです。だから、もっと冒険したくなります。もっと、もっとクリエイティブに生きたいと思えるのです。
自分を制限していたのは、常に自分でした。
つまり、フラクタル心理学を知ると、最終的に行き着いてしまうのは、、、、
自分が世界を作っているという意識、
私って、クリエイターなんだ! という意識なのでした!