人生の目的を知るために、あなたはなにが必要だと思いますか?
それは「能力」です。ですから、能力がないときには見つかるはずもありません。そのため、私たちは自分の能力を育てるために働く必要があります。
能力は責任や努力によって育ちます。
価値あるものはすべて形になっています。
一色真宇著『こころの進化の6つの段階』 第11章 自由がもたらすもの
つまり、型にはまるということは、価値を高めるということなのです。
一色真宇著『こころの進化の6つの段階』 第12章 価値あるものとは
被害者になる理由は、実は罪悪感が大きいからです。
自分を責める言葉が心の中にあるからです。これは、少し発達した自分の言葉です。これがあるから、未熟な自分は罪悪感を抱きます。そして、うつになって被害者になってみせて、なんとかごまかそうとするのです。
一色真宇著『こころの進化の6つの段階』 第14章 虐待神話はなぜ生じるのか
今でも覚えているのですが、私は幼いとき、一つだけ明確に決意したことがあります。
それは、「絶対、生まれてきた目的(使命)を果たす!」です。
しかし、その決意にもう一つおまけがついていたことに、長く気づきませんでした。
それは、
「それ以外はなにもしない!」でした。
私はとても頑固な性格ですが、この決意以外はどうでもいいことなので、人が決めたことに従うのは苦ではなく、むしろ従順でした。
大人になって、「やりがいのある仕事(使命)」を探そうと思いました。
それが私のためにどこかに用意されていて、探し出しさえすればいいのだと思い込んでいたのです。
しかし、「能力」がなければ、やりがいのある仕事なんてできないという当たり前のことがわかっていませんでした。
未熟な決意(信じ込み)は、後々問題を引き起こします。
「それ(使命)以外やらない!」という決意が、使命を果たすために必須の「能力」を養成できる機会をどんどん奪ってしまうなど、その時は思いもしなかったのです。
私は、人生の目的と真逆の方向へ進み始めたのでした。
未熟な脳は、一生懸命「やりがいのある仕事」を探すのですが、どこへ行っても「つまらない、誰でもできる」仕事ばかりでした。
それはそうで、仕事の中に「やりがい」を創り出す力も責任感もない段階で、その機会を自ら捨てていたからです。
プライドと特別感だけは強かったので、異邦人のような意識をどこへ行っても感じました。
この社会が構造的に間違っているような気がしていたのです。
それで、さらに探しに行くといった悪循環に陥っていました。
同じような気持ちを持っている人たちの世界で、
「私たちは少し早く生まれすぎた魂」
「ノージャッジメント」
「自分のありのままを受け入れる」
「地球は魂の修行場」
「すべては一つ」と言いながら、本当は、被害者意識満載の対立二元論の世界の住人だったのです。
そして、なんとなく、罪悪感が増えていきます。
社会(親)に養われながら、社会(親)を批判し、本当にやるべきこと(能力をつけること)から逃げているのですから、心の中に矛盾が生じるのです。
本来の道へ戻るために、私は、こんがらがった頭の中を整理整頓する必要がありました。
しかし、もがいてもズルズルと滑っていきます。
答えを外に求めるのではなく、幼い頃の決意がそもそも間違っていたことに気づくまで、長い長い時間をかけました。
「絶対、生まれてきた目的(使命)を果たす!」
+
「それ以外なにもしない!」
この文章は、発達した脳を持つ人には問題はありません。
しかし、幼い脳には、「それ」が何であるかなど決して判断できないのです。
それなのに、チャンスをだいなしにしていたのです。
そのようなときは、天使(優しげな言葉)は必要なく、悪魔(厳しい言葉)が必要になります。