大人の女性の栄光と挫折

「嫌だわ。この頃シワが増えたみたい。どうしよう…」

「別にいいじゃない。もう、年なんだから。今さら誰も見ないって」

母の表情が一瞬曇った。
それでも、気を取り直して美容液をペタペタ塗る。

その後ろ姿が今でも忘れられない。

「今さら誰も見ないって」

気軽に発したその言葉は、トゲとなって私自身に刺さり、それ以来、私は理由のわからない焦燥感に悩まされることになる。
自分で自分に呪いをかけたのだと気づいたのは、もっと後になってからのことだ。

 

母はもういない。

私の母は、専業主婦として3人の子育てと家事を一手に担った、「ザ・昭和の母」だった。両親のことを思うとき、1970年代に一世を風靡したTBSの国民的ホームドラマ『寺内貫太郎一家』の貫太郎夫婦を思い出さずにいられない。

亡くなった女優の加藤治子さんが、家族をまとめる芯の強いお母さん役を好演していた。

私の母も、父を支え、子育てを全力で頑張った昭和の女性だった。
自分のことよりも、家族を第一に考えて生きた人だ。

茶の間にはいつも母がいる。だから家族が集まるのであって、母がいなければ、途端にばらばらになる。母は家族の太陽だった。

そんな母が、私が大学へ入ったころから、狂ったように外出するようになった。それは、最初、婦人会や趣味の会など、たわいのないものだったが、やがて、海外にも積極的に出かけるようになった。家にいる時間がどんどん減っていった。

一体、毎日どこに行く用事があるのか、正直不思議だった。

貫太郎の父は、帰宅したとき母がいないと機嫌が悪い。
「お母さんがいないからメシを作れ!」と怒鳴る父の存在がうっとうしく、私は、内心母が外出するのを良く思っていなかった。だから、あの発言になったのだろう。

しかし、母は、父の機嫌が悪くなっても、外出をやめようとしなかった。人生の大半を家族に尽くしたのだから、これからは自分のやりたいことをやると決めたのだ。それでも、母にとって家族は何より大事なものだった。
やがて、父は何も言わなくなり、母を応援しはじめた。

 

そんな母との別れは唐突だった。

何の前触れもなく、父が中国へ視察旅行に行っている間に、突然亡くなったのだ。

実は、亡くなる数日前、母から電話があった。
お父さんも留守だし、久しぶりに二人で旅行へ行かないかというのだ。
何か話したいことがあるような雰囲気だ。
それなのに、「忙しいからまた今度ね」と私はそっけなく断った。
「そう。身体、大切にね」母の声は小さかった。

母は永遠にいてくれるような気がしていた。
そして私が呼んだら、「なあに?」とあの笑顔を見せてくれるはずだった。

あれが母との最後の会話だったと知ったとき、どれほど後悔しただろう。
だが、すべて後の祭りだった。

母は誰もいない自宅で倒れ、そのまま帰らぬ人となった。

大混乱。
父も中国から急ぎ帰国した。
誰も彼もが、妙に興奮している。
次から次へと決めなければならないことが押し寄せる。
すべてがコマ送りの不自然なアニメを見ているような数日がすぎた。

 

葬儀の日は、母のような秋晴れの穏やかな日だった。
そして、驚くほど多くの人が駆けつけてくれた。

駅から人が途切れることがなく、泣いている人もたくさんいた。

「香典返しを増やさなくてはいけません! 正直、予想できなかった参列者数です!」と葬儀場の人が慌てていた。

参列してくれた人の顔、顔、顔。
誰もが、突然の母との別れを嘆いていた。

そこには、自分の知らない母がいた。
多くの人と関わり、多くの人に慕われて、
全力で生きた、一人の女性の輝かしい人生があったのだ。

私は母の何を知っていたのだろうか?

「今さら誰も見ないって」

ズキンと、トゲが疼いた。

自分の愚かさの深さに、圧倒される。

堰を切ったようにあとからあとから涙があふれた。

 

 

 

 

 

私たちは、ある程度の年齢になると人生を変えたくなるときがくる。
一人の人間として、自分が主役になりたいときが来るのだ。
だが、その頃になると、もう若くないと思ってしまう。

若いころは、年齢に対して想像力に欠ける。
自分もその年になるなんて、思ってもいない。
だが、私自身、あの頃の母の年齢に近づいていくと、母の気持ちが痛いほどわかるようになった。

焦りと希望。

4、50代は、「人生の正午」だ。
正午は太陽が最も高い位置にある時間帯。

それは勢いがあるという意味で、輝かしい人生の「収穫の時期」をあらわす。

この年代は、若い頃から積み重ねてきた努力が結果となって見え始める年代だ。仕事では役職がついたり、家庭では子どもの手が離れたりして、責任をもって頑張ってきた人であればあるほど、果実を受け取る時期だ。

でもそれは同時に、あとは衰退していくだけというイメージも含んでいる。
ピークがきたら、落ちるだけ。このイメージのために、老化は当たり前という発想から抜けられない。

確かに、私たちはある年齢を越えると、「生きる力が弱くなる」ときがある。
持って生まれた若さ、健康、意欲が減退するのだ。

それは、人生の大転換期の始まりの合図だが、女性の場合、だいたい40以降のいわゆる更年期と呼ばれる時期にあたる。

人生の大転換期は、栄光と挫折が同時にくるようなものだ。
残酷にも手に入れてないものに直面するときでもある。そして、新しい何かを得たいと思ったとき、美や体力がどうしても必要なのだ。女性も40を越えたら、人生が顔に出る。

時代はぐるぐる回っていて、年上の女性(母)に対する信じ込み(偏見)が、そのまま自分を制限するのだった。

母は、家庭を一生懸命に支えた。そして、今度は、自分が主役になって生きたいと願ったのだ。

それなのに、私は母(未来の自分)に呪いをかけた。

「もう年なんだし、誰も見ないよ」

今ならわかる。

愚かな娘がかけた呪いが、母を苦しめたこと。
そして、未来の私を苦しめたこと。

だから、人生の転換期には、もう一度、美と体力を自分に与えることが大切だ。

私は、長い時を経て、ようやくトゲの存在に気づき、抜くことができた。

 

だから、わかる。

もし、今、あなたが限界を感じているなら、今の自分を祝福して欲しい。

そして、新しい未来を自分に与えると決意して欲しいのだ。

私たちの輝かしい時代はこれから始まるのだから。