在宅勤務の裏の顔 「コロナ離婚」が脳裏をよぎります

コロナ離婚という言葉があるようです。

これまでは逃げ場があったのに、リモートワークでそれがなくなったとき耐えられなくなったのです。

それにしても、一緒にいる時間が長くなると家族にイライラするのはなぜでしょう。

 

先日、テレビで京都大学の山極壽一総長が、現代社会は、家族とずっと一緒にいるようにはデザインされていないと話されていました。確かに、都心の家は小さく、家族全員が常に一緒にはいられません。

日中はそれぞれの居場所があり、夜や休日くらいしか一緒にいないように設計されているのです。

 

それに、家族は、立場も性別も年齢も興味も、成長度合いも違う者同士の集まりです。

仕事や社会的つきあいの方が、大人同士、属性が似ているのでむしろラクなのだそうです。

確かに、ある年齢を越えると、家族といるより、友人や会社の仲間といる方がラクになっていきます。

それに、同じような人と働いた方が効率的です。

 

家族は愛を土台にしたグループです。そして、子どもという一番の弱者(未熟な存在)を皆で守り、育てるために協力します。だから、感情が動きやすいんです。

 

どんな大人も、はじめは子どもでした。

どんな人も子ども時代を家族の関係性の中で過ごします。愛の土台の中で育つのです。

愛が土台ということは、愛の定義(意味)が、一生を支える土台となるということです。

老人の中にも、消えることのない子どもがいます。

子どものころ、父親や母親について思ったこと、兄弟姉妹に見ていたもの。

その信じ込みが、相似形となって現在に投影されます。

 

愛されなかったという勘違いや、子どもが優先されるべきという勘違いを持っていると、現在の家族にイライラしてしまうことが増えます。

ということは、根本の愛の勘違いがとれたら、心身ともに自由になれるはずです。

家族と仲良くなると、社会で活躍するのがもっとラクになるのです。

 

だけど、仲良くしようと思うとき、もっとくっついていなくてはと感じる方もいるでしょう。

「仲良く」と「物理的くっつく」をイコールに考える必要はありません。

こころでつながっている方が大切です。

だって、家族は子どもが健やかに成長することを願っているグループであり、「成長」と「物理的にくっつく」は矛盾するからです。ごっちゃになっていることが、家族にまつわるさまざまな悲喜劇を起こします。

今回の自粛期間は、愛にスポットライトが当たった人も多かったはず。

 

私たちは愛がなければ大人になれませんでした。

愛こそ生命です。

でも、その愛ってなんでしょう。

 

ご一緒に考えませんか?

フラクタル心理学の得意分野です。